| ■アメリカのバイオテロ法に基づく食品輸入関連規則(案)(2003.6.16) |
| ■世界のバイオ産業をリードするアメリカのバイオベンチャー(2003.6.3) |
2012年4月30日月曜日
アメリカ短信
2012年4月29日日曜日
カナダ格安留学サポーター>よくある質問(FAQ)
Q: どのくらいの期間留学すれば、英語が話せるようになりますか?
A: このようなご質問をよくいただきますが、カナダ留学出発前の英語力や準備の仕方により大きく異なります。
人によりけりですが、出発前の英語力がビギナーレベルの人だと1カ月や2カ月語学学校に行ったくらいでは、日常会話には多少慣れるものの、自分で満足ができるほどの伸びは期待できないかもしれません。
カナダの語学学校のほとんどはレベルが6~15段階程度に分けられています。
到着後すぐのレベルが1~2だった場合、3カ月間で順調にステップアップすれば、3~5くらいまでレベルが上がるはずなので、通常3カ月で初級から中級へステップアップ。 半年以上通学する人であれ� ��、着実にステップアップすることにより、コース修了時にはアドバンス(上級)レベルに達することが可能で、この頃には日常会話にはある程度自信が持て、リスニング力はビギナーレベルのときよりも飛躍的に上がっているはずです。
2012年4月27日金曜日
イスラエル/被占領パレスチナ地域 : パレスチナの国連加盟に関する、アムネスティのQ&A | ニュース
パレスチナ自治政府が国連において、その地位を昇格させるために行っている外交的努力は、ニューヨークの国連総会で大いに注目されています。パレスチナ自治政府は、パレスチナ国家がより広範に認知されるための戦略の一環として、国連への正式加盟を要請しています。
アムネスティ・インターナショナルは、イスラエルとパレスチナの紛争の解決、あるいは現在のパレスチナの動きを含む国家としての地位の問題について、いかなる立場も取りません。人権団体としての私たちの関心は、解決策、動き、協定がどのようなものであれ、パレスチナ人とイスラエル人の人権が十分に尊重されることにあります。しかしながら、国連がどう決定するにしろ、被占領パレスチナ地域(OPT)におけ� �人権の懸念について、同問題は重要な意味合いを持つことになります。
■国連におけるパレスチナの現在の地位は?
120を超える政府が、パレスチナを国家として認めています。しかし、国連総会ではオブザーバーの地位しか有していません。現在、パレスチナ解放機構(PLO)が代表を務めています。
■パレスチナ自治政府は何を要求しており、次に何が起こるのでしょうか?
パレスチナのマムード・アッバス大統領は、国連事務総長の潘基文(パン・ギムン)に、国連への正式加盟の申請書を提出しました。事務総長はこの申請書を、国連安全保障理事会に提出します。安保理がその申請を承認するには、構成する15の加盟国のうち9ヵ国以上の賛成が必要で、さらに拒否権を有している常任理事国の5ヵ国が、賛成もし� ��は棄権に投票しなくてはなりません。
もし可決されれば、続いてその申請は国連総会に送られ、加盟国の3分の2によって承認される必要があります。
安保理常任理事国5ヵ国のうち米国は、国連でのパレスチナの地位のいかなる昇格にも反対しており、必要であれば拒否権を行使すると言明しています。しかしながら、安保理での投票は遅れる見込みです。
■国連でパレスチナの地位が向上するための他の選択肢はありますか?
!doctype>2012年4月26日木曜日
地図屋の視点: 環境問題
印刷に使用する洋紙が6月頃から、再び値上がりはじめています。
大手製紙メーカーでは下記の発表が既に出ています。
三菱製紙 6月1日から
紀州製紙 6月1日から
北越製紙 6月1日から
大王製紙 7月1日から
日本製紙グループ 10月1日から
その他の製紙会社もホームページ上では発表していませんが、軒並み15%程度の値上がり幅です。
ちなみに「洋紙」とは機械漉きによってパルプから作られる紙のことの総称です。
洋紙とは大きく分けて2種類あり、印刷用に使用される印刷用紙等と段ボール等に使用される板紙に分類されます。
今回は値上がりは両方の洋紙ともです。
その要因としては、パルプ原料の世界的な需要増が上げられます。
主に中国やインドなどの最近成長の目覚ましい新興国では、急激に紙の需要が上がっており、バージンパルプだけでなく、特に古紙の需要が相当上がっています。
古紙回収は、ずいぶん昔から「ちりがみ交換」などで知られ、古紙回収業者が古新聞や古雑誌を一般家庭から買い取り、製紙会社に古紙パルプ原料として売ります。
これは非常によく出来た伝統的なリサイクルシステムで、製紙メーカー・消費者・回収業者の間でくるくるとうまいこと、お金と原料が回っていました。
これがおかしなことになってきたのが、自治体による古紙回収が始まった頃からです。
!doctype>2012年4月24日火曜日
My PA System - Welcom To Takechi's Homepage!
My PA System
INDEX
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はじめに 2011/10/03
---MIXER---
YAMAHA Digital Mixing Console 01V 2011/09/18
YAMAHA MM1242 2010/08/02
YAMAHA MC1202 2011/08/30
BEHRINGER EUROPOWER PMH1000 2010/06/05
Soundcraft SPIRT FOLIO LITE 2011/07/21
Neu MPA-9000V 2010/06/16
SONY MX-550 2009/06/02
---AMP---
CLASSIC PRO CP1200 2006/04月
CLASSIC PRO CP1200 その2 2010/10/01
RAMSA WP-1400A 2009/09/26
RAMSA WP-1200A 2009/09/10
---SPEAKERS---
CLASSIC PRO CSP12 2009/09/26
BEHRINGER EUROLIVE S1220F 2008/09月
SoundKing PA-500 2010/08/02
---MIC---
マイク 2011/09/14
---EFFECTER--
DBX DriveRack PA 2010/02/11
ALESIS 3630 COMPRESSOR 2010/01/21
BEHRINGER AUTOCOM MDX1000 2009/09/26
CLASSIC PRO CEQ231 2011/09/26
YAMAHA SPX90 2011/01/19
---DI---
BOSS DI-1 2010/06/28
PHONIC A6200 2007/03月
---STAND---
マイクスタンド 2011/07/05
---HEADPHONES---
SONY MDR-7506 2008/12月
---Others---
マルチケーブル 2010/02/28
ケース考案 2011/03/04
はじめに
2009/10/02
2006年4月から小松島ミュージックパークという町おこしを目的にしたライブを始めました。当初、公園で仲間内でPA機材など無しでアコースティックライブを計画していましたが、計画を進めていく中でふれあいセンター立江という会場が利用できることになりPA機材も必要になってきました。しかし、小松島ミュージックパークがいつまで続けられるかもわからず、高価なPA機材などそろえられないのでレンタルなども考えましたが、レンタルも高くて借りれません。そんな時、音楽仲間が機材を無料で貸してくれることになり、第1回目は何とか開催することが出来ました。
しかし、毎回借りることも出来ないので少しずつそろえていくことにしました。とはいっても高価な機材は買えません、安い機材でそろえたり、中古を 探したり。また、音楽仲間が使っていない機材を無償で提供してくれたりと少しずつ機材が増えて、何とかそれらしくなってきました。PAオペレーションも何もわからないところから初めたので、機材の配線だけでも大変です。毎回失敗の連続で、そのつど独学で勉強してきました。PAオペレーションも3年目にして自分の機材なら何とか運用できるようになりました。
PAオペレーターはもう一人のアーティストと言われるように、ライブ&レコーディングでは重要な位置にあります。たとえばギターでたとえると同じギターでも弾く人によってその人の音が出ます。高価なギターでも下手な人が弾くと良い音はしません、逆に上手な人は安いギターでもその人の音を出します。ポンコツのPA機材ばかりですが、最高の音が出るよう に勉強はしていますが、これも経験が必要で失敗の繰り返しです。PAのオペレーションはすべてがバランスだと思います。
アーティストとオペレーターが一体になり、もう一人のアーティストになれればいいな。機材の紹介といってもアマチュアが所有する機材で、古いポンコツばかりで自慢できるものはありませんが、唯一自慢できるとしたら安くそろえた事ぐらいです。
2011/10/03システム・インプレッション
DriveRack PAとサブウーハーが加わり、やっと満足できるPAシステムになりました。15インチサブウーハーが1つなのでもう一つ欲しいとは思いますが、アコースティック中心なので十分です。4年がかりでやっとPAシステムが完成です。
デジタル・ミキサーに変えてシステムを一新しました。YAMAHA デジタルミキサー O1V (メイン&サブ・ミキサー)
以前の古いアナログミキサーMC1202は、ヘッドルームが広くパワーのある音でした。このヘッドルームは瞬時のピーク信号が入力された時に信号が歪まないよう通常は10〜20dBのゆとりを持たせています。
専門的なことはよくわかりませんが、私のイメージとしてはデジタルミキサーはヘッドアンプから入ってきた音をデジタルに変換する段階で最大出力レベルをオーバーした分はカットされる為か、このヘッドルームの余裕がありません。ミキサーとしての全体のパワーが弱いように思います。このことは音出しした時にパワー不足を感じました。と言うことはパワーアンプの出力をアップしないといけません。それでメインスピーカー(CLASSIC PRO CSP12)をパワーアンプ(CLASSIC PRO CP1200)2台をブリッジ出力(8Ω)1200Wで鳴らすことにしました。CLASSIC PROの公称値なので実質半分ぐらいに見てもこれでパワーは十分です。しかし、フェーダーを少し動かすだけで音が大きく変わるのでオペレートするのに神経使います。デジタルミキサーの良いところは、ミキサーに色々な機能が全部入っているので機材は削減されて、デジ卓一台で全部出来ます。
しかし、一台で必要な機能が全て搭載されているのは良いんですが、設定値を確認するにも、何を操作するにも画面切り替えやレイヤー切り替えの操作が必要になってくるので、実際のパラメーターの変更はアナログより遅くて、あちこちのメニューを行ったり来たりで効率も悪くなります。瞬時に対応する必要がある時は致命的だと言っても良いかもしれません。ただ、このあたりは人によって好き嫌いが分かれると思いますが、私� ��操作にも慣れて普通にオペレートする分には使いやすくて好きですね。
サブミキサーに同じO1Vをカスケード接続して使うと1台の24chミキサーとして使え、操作も同じなので使いやすいです。チャンネル数が少ないときは1台で済むので便利です。さて、その音ですがアナログのMC1202に比べたら薄っぺらくも感じますが、スッキリしたナチュラルな音です。出力もMC1202に比べたら弱いですが、MM1242とならよく似た出力です。昔のMC1202のヘッドアンプが特別強力なように思います。
その他エフェクター、イコライザー、ダイナミックプロセッサーなどライブラリーリストがあり使いやすく音も良い感じです。DBX DriveRack PA(マルチプロセッサー)
PAシステムの中核となる機材です。以下の機能が1Uサイズにまとまっています。
- ハウリング・サプレッサー
- サブハーモニック・シンセサイザー
- イコライザー
- コンプレッサー
- リミッター
- クロスオーバー
- ディレイ
- 28バンド・リアルタイムアナライザー
メインスピーカーのチューニング用と、システム保護のリミッター、サブウーハーの利用に使っています。
メニューに沿って情報を順番に入力していくとシステム設定が完成するウィザード機能、経験を必要としたスピーカーのチューニングを測定用マイクを使いDriveRack PAがオート・チューニングしてくれます。PAシステムは色々な機材の組み合わせの上、会場ごとに音響特性は変わります。短い間に経験と勘を頼りに手動でチューニングはできないので手に入れました。DriveRack PA は短時間で完璧にチューニングしてくれます。安物のスピーカーもこれでチューニングすれば見違えるような音になります。また、使用機材と会場が同じならメモリーの設定を呼び出すだけでOKです。その他のリミッター、ハウリング・サプレッサーなども便利な機能です。私の持っている機材はアナログの中古の機材ばかりですが、これはちょっと自慢できます。
CLASSIC PRO CSP12+CLASSIC PRO CP1200(メインスピーカー&パワーアンプ)
クラシックプロの12インチウーハー、2ウェイのスピーカーを同じメーカーのパワーアンプ2台をブリッジ出力(8Ω) 1200Wで鳴らしています。この価格で音質とパワーのコストパフォーマンスは抜群です。クラシックプロやベリンガーがなければアマチュアがPA機材などそろえることは出来ません。
Ibanez Sound Wave 100+RAMSA WP-1400A(サブウーハー&パワーアンプ)
Ibanez の100Wベースアンプの15インチのユニットだけをサブウーハーに使っています(ある物は何でも使おう)。
サブウーハー用にブリッジ接続でクラッシックプロCP1200と比べましたが、こちらが断然駆動力が高く、音がぼやけることなく良く鳴るので、サブウーハー用のアンプにしています。ブリッジ接続で800W出力、サブウーハーのユニット(600W PEAK)が持つかどうか? 飛んだ時は強力なユニットに交換します。
BEHRINGER EUROLIVE S1220F+WP-1200A
SoundKing スピーカー+New MPA-9000 V(8chパワードミキサー)
CLASSIC PRO CEQ23(グラフィックイコライザー)
モニターシステムのパワーアンプとグラフィックイコライザーです。以前はハウリングが起こりボリュームを上げることができず、アーティストが聞き取りにくかったのですが、グラフィックイコライザーでハウリングを除去でき、十分に音量を上げることが出来るようになりました。ベリンガーのフロアースピーカー(EUROLIVE S1220F)は、RAMSAのWP-1200A(パワーアンプ)で鳴らし、SoundKingの簡易PAセットのスピーカーをNew MPA-9000 Vの8chパワードミキサーで2組モニーター用に使っています。
BEHRINGER AUTOCOM MDX1000
モニターのリミッターとして使っています。
YAMAHA Digital Mixing Console 01V
2011/09/08
メイン・ミキサーに使っていたMC1202のメーターが壊れ、代換えのメーターも見あたらず修理不能。ミキサーから直接レコーディングするための出力端子もなく、エフェクターのかかりも気に入らない、といろいろ不満が出てきてそろそろ替え時かなと物色していてデジタル・ミキサーの01V(オーワンブィ)を35,800円で入手しましたが、基本動作チェックして動作品とのことでしたが、8chのヘッドアンプが壊れていたので返品しました。!doctype>その後、01Vの完全動作品を28,400円で落札しましたが、これも2chのヘッドアンプが壊れています。出品者から同じ物がもう一台あるので交換すると送ってくれた01Vは先のより程度が良く機能に問題はありませんでした。
アナログミキサーをチャンネル増設に使おうと考えて いたのですが、01V同士をデジタル信号でカスケード接続して、 TO HOST端子で接続するとリンクされて操作を同時に行うことができとても便利そうなので、2chの壊れた01Vの方もチャンネル増設用に値段交渉して手に入れました。個人所有なので写真でも分かるように両方ともかなり綺麗な状態です。オプションのカードは付いていませんが、使わないので必要ありません。
壊れている方は、多分ヘッドアンプの部分でアナログ回路なので部品が入手できれば修理も可能と思います。後続機種の 01V96 Version2は、性能と操作性が格段に良くなっていて、人気機種で品数も少なく高額で取引されているので手が出ません。PA業界では、デジタル・ミキサーに移行が終わった頃で程度の良いアナログ・ミキサーも見かけますが、デジタルミキサーの利点を考えると今さらですね。O1Vは YAMAHA 定番のデジタル・ミキサーで1998年発売で約13年が経ち中古価格も安くなって2台も手に入れることができました。
デジタル・ミキサーのメリットは価格が高い以外は優れていると思います。
操作性はセッティングがリコールできるデジタル・ミキサーは便利だけど、全てのつまみがオモテに出ているアナログが良いという人もいます。音質もこのあたりの安い価格帯ならデジタルの方が良いと思うが、高価なアナログの音は捨てがたいという人もいます。操作性と音質は、「なれ」や「好み」もあるので何とも言えませんが、2系統のステレオマルチエフェクトプロセッサー(エフェクト1とエフェクト2)が内蔵されており、リバーブ、ディレイ、コーラス、フランジャー、アンプシミュレーターなど、多彩で高品位なエフェクト� ��利用できます。ダイナミクスプロセッサーは、コンプレッサー、ノイズゲート、ダッキング、エクスパンダー、コンパンダーとして使用できます。この機能はインプットチャンネル1〜16、ステレオ出力、AUXアウトで利用でき、合計では22台相当のダイナミクスプロセッサーが搭載されています。つまり、外部エフェクターを買い揃えずに済みます。COMPなど全chに独立でかけることができるのは魅力です。重たい機材が減るし、配線の必要がありません(配線に結構時間かかるんですよ)。また、これらはデジタルで内部処理されるので音質が低下することやノイズの心配がありません。これは大きなメリットだと思います。今までは、各バンドのミキサーの設定をノートにメモしていましたが、すべてのミックス設定を99のメモリー に保存し、後からキーを1つ押すだけで、モーターフェーダーが自動で動きミックス設定を瞬時に呼び出すことができます。これらの機能も一人でオペレーションしているとありがたい機能です。
ライブで使う機能を簡単にチェックしましたが、問題ないですね。簡単な音出しでしたがエフェクターも高性能で良い感じです。ただ操作が複雑ですね、アナログ・ミキサーを使いこなせればデジタル・ミキサーも難しくはないと思いますが、マニュアル片手にオペテーションもできないので本番まで時間があれば練習して基本操作はマスターしたいですね。
さて、2台の01Vのカスケード接続ですが、オーディオ信号のデジタル信号はCOAXIALのRCAピン端子のケーブル1本で受け渡しできます。MIDI信号用のTO HOST端子に接続する8ピン、ミニDIN端子のケーブルがどこにもありません、現行機種はUSB端子で接続しますが、10年も前の機種なので規格も古いです。仕方がないので8ピンミニDIN端子とケーブルを買ってきて自作しましたが、8ピンミニDIN端子に8本のコードをハンダ付けするのは大変でした。
接続した2台の01Vですが、操作性が最高に良いですね。デジタルの使い良さが生かされています。ケーブルの接続はたった2本、操作は2台がリンクして1台で操作するともう片方も自動で同じ操作ができます。まるで1台のように操作できます。いろいろ細かな設定は必要ですが、メモリーに保存しておけばすぐに使えます。なるほどね、デジタル・ミキサーにシフトしていくのが分かります。アナログには戻れませんね。
< /blockquote>
2011/09/18ミキサーのケース作りました。
市販のケースは大きめに作ってあるのでかさばります。また、丈夫に作ってあるので重量があります。ケースを2個も買うと金額も馬鹿になりません。
12mmのコンパネ1枚で少し足らない分はちょうど半端があったので1480円で2個作れました。サイズもO1Vに合わせてジャストサイズです。金具でコーナーを補強しようと思いましたが重量が増えるのでやめました。
塗装やカッティングシートなどけっこう手間かかりました。仕様*トータル24入力(12モノ+2ステレオ+8オプション)、4BUS、4AUX、ステレオアウト。
*02Rと同等の4バンド・フルP-EQとダイナミクスプロセッサーを、メイン16入力*/ステレオアウト/4AUXに装備。
*メイン16入力にインプトディレイ、ステレオアウト/オムニアウトにアウトプトディレイを完備。
*スーパーグレードの最新鋭デジタルマルチエフェクターを2系統内蔵。
*各バス(BUS、AUX、ステレオ)とメイン16入力を、4オムニアウト/オプションアウトに自由にアサイン可能。
*100シーンメモリー(トータルリコール)、99エフェクト/80EQ/80ダイナミクス・ライブラリーを搭載。
*オプションI/Oに装着する各種カード(ADAT、TASCAM、AES/EBU、4CH DA、他)を用意。
*60mmストロークのモータードライブフェーダーを15本装備。
*デジタルカスケード、LOCAL CONTOROL、01V LINK機能など、本機のペアユースも快適。
*MMC対応など、MIDI機能も充実。
**8オプション入力には2バンド・フルP-EQを装備。
INDEXYAMAHA MM1242
2009/03/17メインに使っているミキサー PMH1000がチャンネル数が少なく、サブミキサーをつないでチャンネル数を増やしていましたが、機能面、操作性など使いにくいこともあり、チャンネル数の多いミキサーを物色していましたが、新しい物は10万円前後します。オークションでもジャンク品に良い値がついて、なかなか手に入れることが出来ません。そんな中、ある楽器店の中古市場でこのミキサーを見つけました。価格が安いのと楽器店が全機能チェック済みで1ヶ月ですが保障もあります。小さなキズと、数箇所わずかにガリがある程度で商品の評価は普通と言うことです。1994年発売で、年数は経っていますが営業でこき使われた様子も無いので入手しました。EM-120のコンデンサーの交換をして中古のミキサーはこりたはずなのですが、小遣いで手に入れることが出来� �ミキサーはこのぐらいです。
翌日に届きましたがなかなかの美品です。フェーダーなどの状態も良いし、各機能も問題なく、使いかっても良いですね。チェックをかねて音だしをしてみましたが、シンプルな構成でストレートな音、ヘッドアンプのせいか音に力強さが感じられます。
2009/04/06初めてライブで使用しました。さすがにYAMAHAの機材は良いです!
ヘッドアンプが強力なのか、音もしっかりしていて出力が高いです。BEHRINGER PMH1000を使用していたときは、パワーアンプのボリュームが2時のところでしたが、12時でより強力な音が出ます。(これはアンプとの接続をアンバランスからバランス接続に変えたのが原因かもわかりません)
モノラル12チャンネルも良いし、AUX4バスは使い勝手が良いです。4つのイコライザーも細かい音作りが出来ます。YAMAHAの作りも良いし、値段が違うのでベリンガーのパワードミキサーと比べると良いのは当たり前ですね。
また、YAMAHAのエフェクターSPX90も良いですね。エフェクターがかかりすぎるのでだいぶしぼって使わないと、スローバラードなど曲に合わせてかかり具合を調整したり、楽器に軽くかけても良いですね。もっと使い込んで音作りしてみます。
2010/08/02AUX SEND1にガリが出たのでメンテナンスしました。
ポットを基板から外し、ツメを起こして分解、清掃の後、スライドボリューム用の接点復活剤を薄く塗って組み上げました。ついでに他のポットとフェーダーも分解清掃して組み上げました。ポットは小型で神経を使います。フェーダーは横向きになっていて埃などが内部に入りにくい構造になっています。マスターフェーダーとAUXフェーダーの4枚の基板をメンテナンスしました。ついでに各チャンネルの基板もメンテナンスしておこうと思ったのですが、基板がケースから外れないので特に問題もないので各チャンネル基板はそのままです。
ほとんどすべての電解コンデンサーが、高級そうな物が使われています。特に問題もないので電解コンデンサーはそのままです。一般仕様
最大出力レベル +24dB(ST OUT L/R) @600Ω,0.5% THD at 1kHz(Balanced)
+20dB(AUX SEND 1-4) @600Ω,0.5% THD at 1kHz(Unbalanced)全高調波歪率 0.1% @+14dB 20Hz〜20kHz 0.1%以下
(ST OUT L/R @600Ω,AUX SEND 1-4 @600Ω周波数特性 20Hz〜20kHz +1dB, -2dB @+4dB(MIC IN = GAIN MIN)
(ST OUT L/R @600Ω,AUX SEND 1-4 @600Ωハム&ノイズ
(Average,Rs=150Ω)
(Measured With DIN AUDIO)-127dB 入力換算ノイズ
-95dB 残留ノイズ(ST OUT L/R @600Ω,AUX SEND 1-4 @600Ω)-78dB (ST OUT L/R) マスターフェーダー: nominal
全チャンネルフェーダー: minimum-63dB (67dB S/n) (ST OUT L/R) マスターフェーダー: nominal
Tチャンネルフェーダー:nominal-78dB (AUX SEND 1-4) マスターレベルコントロール: nominal
全チャンネルAUXレベルコントロール: minimum-63dB(67dB S/N) (AUX SEND 1-4) マスターレベルコントロール: nominal
Tチャンネルフェーダー,
TチャンネルAUXコントロール: nominal最大電圧ゲイン 84dB MIC IN -> ST OUT
50dB LINE IN -> ST OUT
86dB MIC IN -> AUX SEND1,2
80dB MIC IN -> AUX SEND3,4
90dB MIC IN -> MONITOR OUT
30dB AUX RETURN -> ST OUTクロストーク -70dB 入力CH間
-60dB 出力間(L,R間以外)
-55dB 出力間(L,R間)ゲインコントロール(MIC IN) 44dB 可変幅 ゲインコントロール(LINE IN) 36dB 可変幅 入力チャンネルイコライザー特性 HIGH +-12dB 12kHz シェルビングタイプ(max, +-15dB)
HI-MID +-12dB 3kHz ピーキングタイプ
LO-MID +-12dB 300Hz ピーキングタイプ
LOW +-12dB 80Hz シェルビングタイプ(max,+-15dB)LEDメーター 0dB=+4dB 出力レベル チャンネルピークインジケーター 各チャンネルプリEQ、ポストEQ、ポスト・フェーダーにおいてクリッピングレベルの3dB手前で点灯 ファントム電源 +48V、DC 電源 AC 100V 50/60Hz 消費電力 45W 最大外形寸法(WxHxD) 483x130.2x320.6mm 重量 8.5kg
INDEXYAMAHA MC1202
2009/06/021988年発売のモノラル12チャンネルミキサーで、2〜3箇所ノイズや動作しないチャンネルありを3,000円で落札。
外観はご覧のとおりでアナログメーターなど年代を感じます。同じ12チャンネルのMM1242と比べて一回り大きくて重たい。機能、性能的に良く似た物で、軽量・コンパクトに進化したようですが、操作性などは各ツマミ類など大きくてしっかりしているし、余裕を持って配置されているこのミキサーが操作しやすいですね。3系統のAUX SENDと2系統のAUX RTNがあるのでモニターシステムと2台のエフェクターが接続できます。トークバックマイクロホンが接続でき、どの出力にも混入できます(この機能は使えるかも)。MADE IN TAIWAN製です。
年数の経った古い機材ですが、手を入れてメンテナンスしたので基本性能も問題はなく気持ちよく操作できます。便利だった機能がトークバックマイクロホンで、ステージ上のアーティストとコミュニケーションが取りやすいく、アナログレベルメーターは入出力レベルの監視がLEDメーターに比べて把握しやすいですね。また、CUEスイッチでAUX 1,2,3の信号を切り換えたり合計レベルをモニターできるのも便利です。このCUEスイッチによりヘッドホンでのモニターも切り換えたり、複数をミックスしたりも出来ます。
この古いミキサーをメインミキサーにしたのは拡張性でAUX SUB IN端子で、サブミキサーからモニターシステム用&エフェクター用信号を受けることができメインミキサーで操作できます。メインミキサーにつながったエフェクターをサブミキサーでも利用でき、サブミキサーのモニター信号もメインミキサーで出力調整できます。
ヘッドルームが広くパワーがあるこのミキサーの音が気に入りました。使われている小型トランジスタもオーディオマニアから「良い音のためには多少の無理を承知でTrを使うこともあるのだ。」とコメントされるほど有名なトランジスタがふんだんに使われていて現在入手は不可能です。
コネクタや、ICを交換しましたが、あまり使われていなかったようでトランジスタやコンデンサーに劣化は見られません。とはいえ古い機種なので色々手をかけてメンテナ ンスをして使っています。手をかけるほど愛着がわいてきます。
2012年4月23日月曜日
Wein's - ヴァインズ:ドイツを代表するスモーク生ハム、ブラックフォレストハムのブランド。 | 協同インターナショナル・食品
<ヴァインズ社来日特別インタビュー>ヴァインズ社来日特別インタビュー>
2011.11.09
ヴァインズ社のマルティナさんが、来日されました。ブラックフォレスト地方の衣装を身にまとい、その地方、文化、製品、日本についてお話下さいましたので、ここで、その一部をご紹介致します。
ヴァインズ社輸出担当:マルティナさん
ブラックフォレストの民族衣装を披露して下さいました。
帽子の上の赤いボール状のものは、未婚女性は赤、既婚女性は黒をつけるそうです。
Q:今回の主な来日目的は何ですか?
A:日本に製品を紹介・輸出するには、メールなどのやり取りではなく、直接顔を合わせることが大切であると常に感じています。直接パートナーに会い、率直な意見交換を行いたい、と思い来日しました。また、消費者の好みや要求は国や文化によっても異なるので、実際に日本のスーパーマーケットなどを見て、日本の市場を肌で感じ、理解したいとも思っています。今年は、日独友好150周年の記念すべき年で、ブラックフォレスト・ハムのようなドイツを代表する製品を紹介するにはふさわしい年だと思っています。
Q:日本のハム・ソーセージの製法は、ドイツのものがベースになっていますが、ご存知でしたか?
!doctype>2012年4月21日土曜日
サウスカロライナ州の歴史 - Wikipedia
サウスカロライナ州の歴史(サウスカロライナしゅうのれきし、英:History of South Carolina)では、現在のアメリカ合衆国サウスカロライナ州の地域に、少なくとも紀元前1万3千年に先住民族が住み着いてからの歴史を概説する。
サウスカロライナはアメリカ合衆国独立時13植民地の1つであった。その歴史は海外の諸外国からも連邦政府の支配からも政治的独立にむけた非凡な関わり方で特徴づけられる。重商主義や奴隷貿易の礎石として、南北戦争の火薬樽として、ジム・クロウ法の本家として、またディキシークラット(南部の民主党離反派)運動の心臓部として、サウスカロライナの歴史はアメリカにおける集中排除(反連邦主義)の縮図であり続けた。
現在サウスカロライナ州となっている地域に人が住み始めたのは少なくとも紀元前1万3千年(道具を制作する遊牧民が物資的遺跡を残し始めた)であるが、記録に残る歴史はエルナンド・デ・ソトが訪れた1540年に始まる。
カロライナの領主植民地は1670年のチャールズタウンに、イギリス植民地の一つであったバルバドスから移民が入植したのが始まりであった。植民地の初期から領主に対する不満が存在した。1715年から1717年にかけてのヤマシー戦争の後、開拓者は領主制を打倒した。1719年、植民地は公式に王室領植民地となったが、領主達は1729年までその権利を保持した。
カロライナの北部と南部の違いは領主支配の間も認識されていた。南北それぞれに別の政府が設立された。2つの植民地の事実上の分割は1729年に王室領として認められたときに正式のものになった。
サウスカロライナは1776年3月15日にイギリスからの独立を宣言し、独自の政府を打ち立てた。アメリカ独立宣言に署名することによりアメリカ合衆国に加盟した。2年間、そのプレジデントはジョン・ラトリッジであり、後に知事になった。1778年2月5日、アメリカでは最初の憲法となる連合規約を批准することでは最初の邦となった。
1860年に反奴隷制を綱領とするエイブラハム・リンカーンが大統領に選ばれ、サウスカロライナ州は即座にまた注目に値する全会一致で合衆国からの脱退を決めた。1860年12月24日、合衆国を離れる最初の州となった。翌年2月にはアメリカ連合国に加盟した。4月には南北戦争が始まり、南軍はチャールストンにある北軍のサムター砦を攻撃した。
南軍が敗北した後、サウスカロライナはレコンストラクションを経験した。解放されたアフリカ系アメリカ人や貧乏な白人がレコンストラクション中に恩恵を受け、公民権を拡大し、公的教育制度を作って予算化し、社会福祉制度を作った。サウスカロライナで成立した憲法は27年間修正無しで保たれ、レコンストラクション中に制定された法律はそれよりも長く続いた[1]。アフリカ系アメリカ人の進歩は短命に終わった。白人農園主が支配者として復帰すると、ジム・クロウ法を成立させ、これは特にサウスカロライナでは厳しいものであって、公的な場でアフリカ系アメリカ人を分離し、その労働者の運動を支配した。世紀の変わり目には、アフリカ系アメリカ人の権利を実質的に制限する法律を通した。サウスカロライナでは南北戦争の前からアフリカ系アメリカ人が多数派であったが、リンドン・ジョンソン大統領の任期中の1964年に公民権法の下で保護を回復するまで、その権利は制限されたままであった。
1865年から1940年までサウスカロライナ州は貧しかった。公的教育の予算が足りず、特にアフリカ系アメリカ人の教育水準は低かった。大半の人々は農園で暮らし綿花を育てた。より潤っていたのは土地所有者であり、小作人すなわちシェアクロッパーが農作業を行う農地にその土地を分割するとともに、雇用した労働力で自分の土地も耕作させた。ピードモント地区に徐々に工業化の波が伝わり、綿花を布地にさらに衣類に変えて国内市場に売る繊維工場ができた。
政治的には、サウスカロライナはソリッド・サウスの一部であった。アフリカ系アメリカ人は税金を払い他の市民の義務を支えたにも拘わらず、その権利は制限されており、1900年から1960年代遅くまで黒人の役人は選ばれなかった。白人はジム・クロウ法時代に人種差別を厳格に強制し、アフリカ系アメリカ人が教育を受ける機会、代表となり自由に公的活動を行う機会を制限した。1960年代の公民権法は人種差別を終わらせ、アフリカ系アメリカ人や他の少数民族の選挙権を保護した。
綿花が支配する時代は1950年代までに終わった。州中に工場が建てられ、農夫の大多数は農業から離れた。2000年まで、大統領選挙では頑なに共和党を支持してきたが、州および地方政府の選挙では2大政党が争ってきた。人口は増え続け2000年には400万人に達し、海岸地区は観光客や現役を退いた人には一等地となった。貧窮率は13.5%であり、国平均の11.7%より少し悪い程度である。
[編集] 初期の歴史
サウスカロライナ地域にはヨーロッパ人による探検の前に数千年間アメリカ州の先住民族が住んでいた。考古学調査によって、道具を作る遊牧民が紀元前13,000年までにこの地に住んでいたことを示している。
ヨーロッパ人による最初の探検の時まで、29種族の先住民族がサウスカロライナ州となる領域内に住んでいた[2]。
[編集] 植民地時代
詳細は「サウスカロライナ植民地」を参照
16世紀の終わりまでに、スペインとフランスが何度か偵察任務の者を派遣し植民地化に失敗した後でこの地域から離れた。1629年、イングランド王チャールズ1世は北緯36度線から31度線までのあらゆるものについて、その検事総長に勅許を与えた。国王はこの土地をカーラナ植民地と呼んだが、国王自身の名前のラテン語形に倣って、後に発音上「カロライナ」と変えられた。1663年、チャールズ2世はこの土地を8人の貴族、植民地領主に与え、領主達は領主植民地としてカロライナ植民地を支配した。1715年から1717年にかけてのヤマシー戦争の後、植民地領主は増大する圧力の下にあるようになり、1719年にはその勅許を国王に返還することを強いられた。領主達は1729年まで土地の権利を保持したが、この時点で植民地は正式にノースカロラ� ��ナとサウスカロライナの各植民地に分割され王室領となった。
1670年4月、アシュレー川とクーパー川の合流点、アルバマール・ポイントに開拓者達が到着し、チャールズタウンを建設し、国王チャールズ2世に因んでその町の名とした。
植民地時代を通じて、カロライナはスペインとの戦いやヤマシー戦争とチェロキー族との戦争を含む先住民族との多くの戦いを経験した。最初の数十年間、植民地のプランテーションは比較的小さく、その富は主に鹿皮とインディアン奴隷をインディアンと交易することから生まれた。米作の技術と知識があるアフリカ人奴隷の輸入によって、18世紀の初めの数十年間、農園主はプランテーションで米の栽培を始め、海岸地域で盛んになった。奴隷にされたアフリカ人は米作を定着させるために溝を掘り、ダムを造りその他の手段を施して、大きな土木工事に相当するものを作り出した。
低地がまず開拓され、プランテーションを作り出して大規模土地を所有することになった富裕な人々に支配された。大土地所有者は労働力として白人の年季奉公者を輸入したが、これはほとんどイングランドの10代少年少女であり、自分の土地を買えるという希望を持って渡航費の代償に働きにきた者達であった。農園主達は植民地の労働力としてアフリカ人も輸入した。初期には年季奉公と奴隷の境界は流動的であったが、次第に奴隷化の条件が固まってきた。18世紀の初めまでに、農園主達はその労働力を主に奴隷化したアフリカ人に頼るようになった。
ヤマシー戦争の後で、後背地にいたインディアンの人口が著しく減少した。海岸地区とは対称的に、新しく空白区となった後背地は主にペンシルベニアやバージニアから素早く南下してきたスコットランド系アイルランド人および北ブリテンの移民によって開拓された。アルスター、すなわちスコットランド低地やイングランド北部(境界地域)からの移民は、独立以前のイギリス諸島から来た集団のなかでも最大であり、他の者達よりも遅く大半が18世紀に移民してきた。この様な北ブリテンの移民はサウスカロライナ内陸の大半では多数派となった。この地域の環境特性はイギリス境界地域の文化に良く合っていた[3]。このような移民は南部中の後背地に入植し零細農業に頼っていた。彼らはほとんど奴隷を所有しなかった。経歴、階級、奴隷の所有、経済および文化に違いがあったので、政治の世界に現れる低地と内陸の長年にわたる競合があった。
海岸地域の農園主は米とアイという奴隷の労働力による栽培に頼る主要農業生産物で富を得ていた。これら生産物を輸出することでサウスカロライナは独立以前では最も富裕な植民地の一つになった。18世紀の初頭頃、農園主達は主にジョージタウンやチャールストン地域の海岸で米作を始めた。奴隷にされたアフリカ人は米を栽培していた地域である西アフリカやシエラレオネから輸入されたときに様々な品種の稲やその栽培技術をもたらした。カロライナ・ゴールドとして知られる最良の米品種はその色といい収穫量といい、プランテーション所有者に大きな富をもたらすことになった[4] 。
1740年代、イライザ・ルーカス・ピンクニーがアイの栽培を始めサウスカロライナ海岸地域に広めた。「インディゴ・ボナンザ」が続き、1750年代遅くにはサウスカロライナにおける生産量が百万ポンド (450トン)に近付いた。この成長はイギリスが1ポンドあたり6ペンスの助成金を出したことで加速された[5]。
これに加えて生皮(主に鹿皮)と海軍用品や木材に植民地の経済は依存していた。海岸の町は南部のリブオークを主要材料として貿易を支援するための造船を始めた。
サウスカロライナの自由な憲法と早くから貿易で繁栄したことでセファルディ(スペインとポルトガル)のユダヤ人移民を惹き付けた。大半はラム酒や砂糖の貿易に関わっていたロンドンやバルバドスからやってきた。1800年時点で、チャールストンにはアメリカでも最大のユダヤ人人口がいた[6]。
[編集] 独立戦争
アメリカ独立に先立って、イギリスは歳入を補うためにアメリカ植民地への課税を始めた。サウスカロライナの住人は茶、紙、ワイン、ガラスおよび油に課税するタウンゼンド諸法に激怒した。印紙法に抗議するために、裕福な米プランテーション所有者トマス・リンチ、26歳の弁護士ジョン・ラトリッジおよびクリストファー・ガズデンを1765年にニューヨークで開催された印紙法会議に送り込んだ。諸税は撤廃されたが茶税は残った。間もなく、ボストン茶会事件と同様に、サウスカロライナの人々もチャールストン港に茶を投げ入れ始め、そのあとにはボイコットや抗議が続いた。
サウスカロライナは1776年3月15日にイギリスからの独立を宣言し独自の政府設立に動いた。イギリスとの貿易の歴史が長かったので、低地の都市には多くのロイヤリストがいた。アメリカ独立戦争の間にサウスカロライナで起こった戦いの多くはカロライナのロイヤリストやイギリスと同盟したチェロキー族インディアンとのものであった。このことはイギリス軍の将軍ヘンリー・クリントンにとって利点となり、その戦略はフロリダのセントオーガスティンから北へ行軍し、北部でジョージ・ワシントン軍を挟み撃ちすることであった。クリントンは何の脅威も無かったパトリオット(独立側)の逃げる兵士を攻撃し全滅に近くさせることで、ロイヤリストとは疎遠になり、パトリオットは激怒させた。
白人の植民地人だけが自由を望んだ者ではなかった。植民地にいる奴隷の4分の1に相当する25,000人以上が独立戦争の間に逃亡しイギリス軍に加わった。アフリカ系アメリカ人はイギリス軍と共に戦えば解放を約束されていた[7]。
1780年10月7日、キングスマウンテンの戦いで、ピケンズは南北カロライナの部隊を率い、丘の上にいたイギリス軍パトリック・ファーガソン少佐とそのロイヤリスト部隊を攻撃した。これは民兵と訓練のされていない大陸兵によって勝ちとられたものだったので、パトリオットにとって特に大きな勝利となった。トーマス・ジェファーソンはこれを「流れを変える成功」と呼んだ[8]。これはイギリス軍がチャールストンを占領してから初めてのパトリオット側勝利であった。パトリオット軍は川沿いでバナスター・"慈悲無し"・タールトン大佐の部隊を罠に嵌めることで、訓練の施されていない部隊のまま、チャールストンとサウスカロライナの回復に動いた。
1787年、ジョン・ラトリッジ、チャールズ・ピンクニー、チャールズ・コーツワース・ピンクニーおよびピアス・バトラーが憲法制定会議の開かれるフィラデルフィアに行き、アメリカ合衆国憲法の詳細な概要となるものの作成に関わった。合衆国憲法は1787年にサウスカロライナ州によって批准された。新しい州憲法は内陸部の支持が無いままに1790年に批准された。
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